塾長の独り言

優子-5

令和7年5月1日

思い起こせば、ひょんなことで30年振りに再会してから、14~5年付き合ったことになる。
高校のころの好きだった気持ちは、現実にお互い違う道を歩いている今では、愛おしい気持ちに
変わっている。高校から好きだったことは、優子は気が付いてなかったよと後で言った。
二人とも、それぞれの地に根を生やし今では孫もおり、おそらくは幸せだろう。
再会後のある時に、これからの人生の幸せ競争をしようかと言ったら、それから、しばらくは優子の
機嫌が悪かった。変な事を言ってしまったと後で後悔した。
これまでも色々あったんだろうと想像した。
何回か会っている内に、ぼつぼつの会話の中で、母親の介護の疲れで腹にいた生まれれば長女になる
はずの子供が流産し、また自身も、数年うつ状態が続いたと言っていた。
主人は、あなたとよく似ていて優しいよ。という言葉に何故か嬉しかった記憶がある。
お互いが、どんな気持ちで今の伴侶と巡り合ったのかも話せた。
再開後の10数年間にいろんな所に出かけ、いろんな話ができ、二人の間のわだかまりも消えた。
ここ数年、連絡も取っていないが、これからの人生を、楽しく生きていってほしいと心から思う。
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そんな折、4年前に突然知り合いから電話があった。大事な人が亡くなったと電話で泣いていた。
優子が亡くなったとの電話だった。その場では、何にも言葉が出なかった。
後で聞いた話では、最初は股関節が悪く手術したが、そちらはやっと松葉杖が取れるまでになった頃に、全身に癌が見つかり、壮絶な痛がりで亡くなっていったとの事だった。
これからの人生、今からが、自分の時間で楽しく生きていけるはずなのに。なぜ、優子が・・。
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優子、これまで有難う。ご冥福を祈ります。
私は、あなたの分まで、元気に楽しく生きていきます。
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優子シリーズは妄想の物語でした、お付き合いありがとうございました。
お元気で。


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令和6年12月3日

約一年半の間HPの更新が出来ませんでした。二つの理由があります。
一つ目は、昨年の春に、HPのセキュリティ設定が貧弱だった模様で、全体がブロックされてしまいました。
個人的には、対応が無理だったので業者にお願いして解決していただきました。今年の年初までかかりました。
二つ目は、今年の夏前に、私自身の前立腺に異常が見つかり、手術を決行しました。
早期だったようで、どこにも転移がなかったので全摘しました。現在では、何の問題もなく生活しております。健康が何よりも一番です。
現時点では、上記二つの問題も解決したので、これからはHPの更新を追々やっていきます。
楽しみに、時々はのぞいてみてみてください。


AI時代の孫たち

令和5年2月16日

対話型人工知能(AI)を誰でも使える時代・・もう、目の前だと言われている。
チャットGPTのユーザーは、公開3カ月で1億人を超えたという。
ネット上で調べ、回答を導き出す能力はAIは脅威だ。人の何倍もの卓越しているだろう。
いずれは、AIを部下と使い、成果を出す能力がビジネスマンの人事評価基準になるのかもしれない。
しかし、どんな時代になっても、これからの時代だからこそ、あなた自身の個人の能力が問われる。
いくらAIを使っても、あなたのこれまでの環境、受けてきた文化・思想など、背景の違いまでも
念頭に置いた回答は無理だろう。

大きな気候変動、疫病、紛争などが地球規模で起きている。
これからの子供たちは、ますます予測不能な時代に立ち向かうことになる。
過去に例を見ない状況でも、解くのはAIでも判断すのはあなたです。
これからは、知識の多さではなく、あなたのこれまでの環境から受けた生きざまが大事なのです。


優子-4

令和4年8月1日

その後、7~8年の間で関東や大阪の方で何回か約束してあった。
関東で会うときは、用事を作って出てきてたようだった。
国立美術館、皇居、上野公園、浅草寺・・・いろんな所に二人だけの思い出がある。
会話が弾むわけではないが、沈黙がつらいわけでもない。
ゆっくりと、時間が流れるのが心地よい。きっと、優子も同じ気持ちだと仕草で分かる。
「奥さんとも、こんな時間の過ごし方をしてるの?」何も答えなかった。
「主人は、あなたとよく似ているよ。優しいところもね」。
関東で会うと、大阪まで帰る時間を考えると、早めの別れになってしまう。
ただ、大阪で会うには気が引けて、ほとんどが関東で会った。
考えてみれば、20代から付き合い、お互いの身の上にいろんなことが起きた。
お互いの結婚も、子供が生まれたことも、孫が生まれたことも・・・。
そして、50歳を過ぎた頃から、60代半ばまで、昔の青春がよみがえった。
後ろめたい気持ちは勿論あったが、10年近い懐かしい時間だった。
若いころの、思いも話せたし、誤解も解けた。少なくとも表面上かも知れないがお互いの幸せも確認できた。
それからしばらく、お互いの行事の煩雑さから会う機会が持てなくなった。
70を直前にしている今、これまでうれしく、切なく、愛おしい時間に付き合ってくれた優子には、
感謝の気持ちでいっぱいだ。
その後、メールでの連絡もしないし、連絡も来ない。私の方からもしない。
このまま、二人での思いでを大切にして生きていきたいと思う。

永遠の幸せを願って。いい思い出をありがとう。いい齢の重ね方をしていこう。


優子-3

令和4年6月15日

その後、何回か電話してとある駅前で会うことにした。
午前11時の約束の前に車で着いた。
向こうから、歩いてくる女の人が優子に違いない。
昔より、ちょっと小太りに見える。面影は昔のままだ。
何の疑いもなく声をかけた。「久しぶり…」「そうね・・・」
何十年ぶりかの再会なのに、心の中は高ぶっているのに、なぜか感動の表現はできなかった。
何から話せばいいのか、迷っていると向こうから「元気だったの」と聞いてきた。
「うん、どこか食事に行こうか」どこに行こうかと迷いながら聞いた。
「どこでもいいよ」
今まで、行きたいと思っていた、田舎の料理屋に行くことにした。
車の中では、ぽつぽつと昔を思い起こしながら話をしたが、何故メールが来なくなったのかは
目的地に着くまで聞けなかった。
梅雨の時期であり、外はしとしとと雨だった。
優子は寒そうだったので、きていた上着を着せて車場からしばらく歩いて玄関についた。
田舎の料理屋で、見た目もいかにも古めかしいからか、お客は一人もいなかった。
料理を頼んで、またしばらく沈黙が続いた。
・・・・
優子は、どうかというと静かでおとなしい性格なので、この沈黙が嫌と感じる子では
ないことは分かってはいる。
食事が終わり、料理屋の周りに2~3軒ある地元の生産物を展示している場所を見て回った。

もう、お互いに60歳を目の前にした年齢になっていた。