令和6年12月3日
約一年半の間HPの更新が出来ませんでした。二つの理由があります。
一つ目は、昨年の春に、HPのセキュリティ設定が貧弱だった模様で、全体がブロックされてしまいました。
個人的には、対応が無理だったので業者にお願いして解決していただきました。今年の年初までかかりました。
二つ目は、今年の夏前に、私自身の前立腺に異常が見つかり、手術を決行しました。
早期だったようで、どこにも転移がなかったので全摘しました。現在では、何の問題もなく生活しております。健康が何よりも一番です。
現時点では、上記二つの問題も解決したので、これからはHPの更新を追々やっていきます。
楽しみに、時々はのぞいてみてみてください。
令和5年2月16日
対話型人工知能(AI)を誰でも使える時代・・もう、目の前だと言われている。
チャットGPTのユーザーは、公開3カ月で1億人を超えたという。
ネット上で調べ、回答を導き出す能力はAIは脅威だ。人の何倍もの卓越しているだろう。
いずれは、AIを部下と使い、成果を出す能力がビジネスマンの人事評価基準になるのかもしれない。
しかし、どんな時代になっても、これからの時代だからこそ、あなた自身の個人の能力が問われる。
いくらAIを使っても、あなたのこれまでの環境、受けてきた文化・思想など、背景の違いまでも
念頭に置いた回答は無理だろう。
大きな気候変動、疫病、紛争などが地球規模で起きている。
これからの子供たちは、ますます予測不能な時代に立ち向かうことになる。
過去に例を見ない状況でも、解くのはAIでも判断すのはあなたです。
これからは、知識の多さではなく、あなたのこれまでの環境から受けた生きざまが大事なのです。
令和4年8月1日
その後、7~8年の間で関東や大阪の方で何回か約束してあった。
関東で会うときは、用事を作って出てきてたようだった。
国立美術館、皇居、上野公園、浅草寺・・・いろんな所に二人だけの思い出がある。
会話が弾むわけではないが、沈黙がつらいわけでもない。
ゆっくりと、時間が流れるのが心地よい。きっと、優子も同じ気持ちだと仕草で分かる。
「奥さんとも、こんな時間の過ごし方をしてるの?」何も答えなかった。
「主人は、あなたとよく似ているよ。優しいところもね」。
関東で会うと、大阪まで帰る時間を考えると、早めの別れになってしまう。
ただ、大阪で会うには気が引けて、ほとんどが関東で会った。
考えてみれば、20代から付き合い、お互いの身の上にいろんなことが起きた。
お互いの結婚も、子供が生まれたことも、孫が生まれたことも・・・。
そして、50歳を過ぎた頃から、60代半ばまで、昔の青春がよみがえった。
後ろめたい気持ちは勿論あったが、10年近い懐かしい時間だった。
若いころの、思いも話せたし、誤解も解けた。少なくとも表面上かも知れないがお互いの幸せも確認できた。
それからしばらく、お互いの行事の煩雑さから会う機会が持てなくなった。
70を直前にしている今、これまでうれしく、切なく、愛おしい時間に付き合ってくれた優子には、
感謝の気持ちでいっぱいだ。
その後、メールでの連絡もしないし、連絡も来ない。私の方からもしない。
このまま、二人での思いでを大切にして生きていきたいと思う。
永遠の幸せを願って。いい思い出をありがとう。いい齢の重ね方をしていこう。
令和4年6月15日
その後、何回か電話してとある駅前で会うことにした。
午前11時の約束の前に車で着いた。
向こうから、歩いてくる女の人が優子に違いない。
昔より、ちょっと小太りに見える。面影は昔のままだ。
何の疑いもなく声をかけた。「久しぶり…」「そうね・・・」
何十年ぶりかの再会なのに、心の中は高ぶっているのに、なぜか感動の表現はできなかった。
何から話せばいいのか、迷っていると向こうから「元気だったの」と聞いてきた。
「うん、どこか食事に行こうか」どこに行こうかと迷いながら聞いた。
「どこでもいいよ」
今まで、行きたいと思っていた、田舎の料理屋に行くことにした。
車の中では、ぽつぽつと昔を思い起こしながら話をしたが、何故メールが来なくなったのかは
目的地に着くまで聞けなかった。
梅雨の時期であり、外はしとしとと雨だった。
優子は寒そうだったので、きていた上着を着せて車場からしばらく歩いて玄関についた。
田舎の料理屋で、見た目もいかにも古めかしいからか、お客は一人もいなかった。
料理を頼んで、またしばらく沈黙が続いた。
・・・・
優子は、どうかというと静かでおとなしい性格なので、この沈黙が嫌と感じる子では
ないことは分かってはいる。
食事が終わり、料理屋の周りに2~3軒ある地元の生産物を展示している場所を見て回った。
もう、お互いに60歳を目の前にした年齢になっていた。
令和3年8月9日
東京での開催の第32回近代夏季オリンピック大会が8日夜閉幕した。
コロナウイルスの影響で、一年延期のしかもほとんどの会場が無観客の異例の大会であった。
期間中も感染拡大が続いたものの、アスリートたちの躍動は人の心を動かした。
国境を超えて集い、喜びを分かち合う姿も見ることができた。
1964年に続く2度目の東京五輪は17日間の日程を終えた。
「多様性と調和」「復興五輪」が主要テーマの今大会に、205の国と地域に加え難民選手団がの参加
し数は1万1000人で、女性が48.7パーセントで過去最高となった。
最後まで、五輪開催の賛否の溝はうまらず、思い描いたオリンピックでは無かったかもしれないが、
アスリートたちが、国・地域の枠を超え、仲間として健闘をたたえあう姿が胸を打った。
躍動する選手たちの姿を見て、この舞台が準備されてよかったと素直に思えた。
そして、「お・も・て・な・し」の心の約束も果たすことができたと思う。
大会ボランティアや街の人が限られた状況で精いっぱい歓迎する姿を報道で見た。
空港で、「日本に来てくれてありがとう」とカードを掲げたボランティアもいた。
英国メディアは、「さりげない振る舞いは美しい」と報じたそうだ。
ただ、開催責任者の差別的な発言や言動が次々と表面化し、「多様性と調和」という
大会ビジョンは見せかけに過ぎないと多くの人の目に映ったかもしれない。
「五輪開催の意義は何なのか」根本的な問いが人々に投げかけられた。
五輪憲章の理念を実現しようとした選手たちの声に耳を傾け、
新たな五輪の時代に踏み出さなければならない。