塾長の独り言

東京五輪 閉幕

令和3年8月9日

東京での開催の第32回近代夏季オリンピック大会が8日夜閉幕した。
コロナウイルスの影響で、一年延期のしかもほとんどの会場が無観客の異例の大会であった。

期間中も感染拡大が続いたものの、アスリートたちの躍動は人の心を動かした。
国境を超えて集い、喜びを分かち合う姿も見ることができた。

1964年に続く2度目の東京五輪は17日間の日程を終えた。
「多様性と調和」「復興五輪」が主要テーマの今大会に、205の国と地域に加え難民選手団がの参加
し数は1万1000人で、女性が48.7パーセントで過去最高となった。

最後まで、五輪開催の賛否の溝はうまらず、思い描いたオリンピックでは無かったかもしれないが、
アスリートたちが、国・地域の枠を超え、仲間として健闘をたたえあう姿が胸を打った。
躍動する選手たちの姿を見て、この舞台が準備されてよかったと素直に思えた。

そして、「お・も・て・な・し」の心の約束も果たすことができたと思う。
大会ボランティアや街の人が限られた状況で精いっぱい歓迎する姿を報道で見た。
空港で、「日本に来てくれてありがとう」とカードを掲げたボランティアもいた。
英国メディアは、「さりげない振る舞いは美しい」と報じたそうだ。

ただ、開催責任者の差別的な発言や言動が次々と表面化し、「多様性と調和」という
大会ビジョンは見せかけに過ぎないと多くの人の目に映ったかもしれない。

「五輪開催の意義は何なのか」根本的な問いが人々に投げかけられた。
五輪憲章の理念を実現しようとした選手たちの声に耳を傾け、
新たな五輪の時代に踏み出さなければならない。


優子-2

令和2年11月1日

あれから、何年経っただろうか。
その間、優子には何回かこちらからメールはしたものの返信は一度もなかった。
その後、返信のない一方的なメールの中身は一般的なものになり、やがて一年に一度の誕生日の
お祝いのメールだけになり、近年それさえもいつの間にか無くなっていた。
優子は現在関西の方にいて、もうすでに結婚しており、子供も二人いることも知ってはいた。
ふとしたことで、親類の法事があり彼女も帰省するとの話を誰からともなく聞いた。
それを聞いて、忘れかけていたあの頃の優子の面影が鮮明に浮かんできて、胸が締め付けられる
程の痛みを感じた。
意を決して、メールでなく電話をした。幸い以前の番号と同じで受信拒否もされてなかった。
意外とすんなり電話に出たことにびっくりした。これまでメールの返事が一回もこなかったのが
不思議だ。
「今度、法事には帰省するの?」
「そのつもりよ、どうして」
何故に、法事があることを知っているのかとの質問もなかった。
平然とした事務的な声に、期待が裏切られ若干の寂しさはあったが、当たり前だと理解した。
未練がましい男の性と、現実的な女の性の決定的な違いなのだ。
「どこかで、いつか会えないかな」
「いいよ」
「その内に、また電話するから」
いまさら会ってどうするつもりか。何を話すつもりか、昔の話をしてどうなるものか。
若いころのあの時の情愛がなぜ突然消え失せたのか、あの時は口には出せていなかったこと、
あの時の自分の思い、そして優子がどう思っていたのか、悶々とした心の整理をしたかった。
「うん、またね」
数日内に会えることが決まると、会えることへの安心なのか、何故か妙に胸の高ぶりは
消えていった。
あれから、もう30年は過ぎているだろうか。

・・・・・・



「鉄は国家なり」

令和2年4月9日

「鉄は国家なり」は19世紀に武力でドイツが統一されたころに言われ始めた。
大砲や鉄道に欠かせない鉄は国力の源泉だった。
ドイツを範とした明治政府が今の北九州市に建設したのが官営八幡製鉄所だ。
流れをくむ八幡製鉄所が富士製鉄と合併し新日本製鉄が発足したのが50年前の3月。
個人的には、そのあくる年に新日鉄に私は入社した。
売上高一兆円企業が誕生し「正規の合併と」騒がれた。
高度成長をけん引するまさに「鉄は国家」の時代だった。
世界遺産にもなった八幡製鉄所はこの4月に他の製鉄所と統合され名称が消える。 
新日鉄の後身の日本製鉄による合理化だ。広島県の呉製鉄所は閉鎖、和歌山製鉄所の高炉の休止。
中国の攻勢にさらされ昔日の面影は薄れた。
「鉄は国家」と呼ばれたのも、製鉄所が各地で多くの雇用を生み出し地域を支えてきたからだ。
コロナ不況が底知れず深まっていく中、今回の合理化による地域の打撃を心配する声は尽きない。
今後の日本を支える産業は何か。時代に応じた産業の変化を敏感に感じる企業のみが生き残る。
そして、急速な産業変化に伴う貧困対策も絶対忘れてはならない政治課題である。


今、ラグビーが面白い

令和元年10月8日

日本での初開催となる「ラグビーワールドカップ2019」でにわかラグビーファンも増えて日本中が大騒ぎだ。
15人づつのチームが、楕円体のボールを奪い合って相手陣まで運ぶ、あるいはH型のゴールポスト上部に蹴り入れて得点を競うスポーツだ。
それぞれのポジションの人が自分の役割を果たさないと、点数は取れない。
フィールドの選手達自身が状況を読み、作戦をたてプレーするスポーツであり、身体能力と頭脳そしてチームワークが必要である。

そう言うスポーツだからこそ、「One for all」・「All for one」の言葉がラグビーの代名詞になっている。「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」なのだ。
目的はラグビーではトライ。トライを取るために、みんながそれぞれのポジションでしっかり役割を果たし、そしてチーム全体の力を結集すのだ。
ところが、敵のディフェンスがうまいか、味方のミスか、突然意図した作戦の前提が崩れ、想定もしていない事態が発生する。
それでも、ボールをキープし攻撃を続けないとトライは取れない。ボールを持っている人や受け取る人が思い通りにならない事を想定し、仲間がそれを全力でフォローする。
身体面の素早い動きと激しいぶつかり合い、頭脳面での冷静で柔軟な作戦力、そして大胆で細心の気遣いと仲間を信じる心が必要なのだ。
「動と静」・「クールさと熱さ」が入り混じった、「人間の能力を最大限に使った高度なスポーツ」それが、ラグビーではないか。

誰が優秀かではなくて、それぞれの役割をきちんと果たしながら、チームが一つの目標に向かって機能し、お互いに信頼しフォローし合っていくことがいかに重要か、どこの世界にも通用するような気が、盛り上がったラグビーをみて感じた。


優子-1

平成30年6月8日

午後8時5分前に待ち合わせ場所に着いた。優子は逆に5分遅れてきた。
水色のワンピースに薄手の上着を着てる優子は、僕より大人にみえる。
話しかける言葉が見つからず、しばらく歩いて予約しているレストランに着いた。
高層階の無数の光の瞬きが見える窓際のテーブルで、優子は物憂げにその景色を見ている。
「このごろ すれ違いばかりだよな」
「そうね」
そっけない返事だけでなく、遠くに行ってしまった優子の心の内までも僕の前にさらされる。
「なんにする? なんでもご馳走するよ」
「いいよ 無理しなくても」
消え入りそうな小声が返ってくる。
優子の気持ちがわからない。
信頼と愛情に築かれていた筈のこれまでの関係が、もろくも崩れようとしている。
柄にもなく、ワインをウェイターに頼む。
テエイスティングの役割をまかせられても、どう表現していいのかもわからない。
「結構です」
そう言うのが精一杯の様子を、見下したような優子の視線が突き刺さる。
「すれ違う事が多いと思うんだけど、なんとか出来ないかな」
「なんとかって?」
取り付く島が無い。
どれくらい沈黙の時間が過ぎただろう。
「私、もう帰るよ」
「また、会えるかな」
「え、もう何も話す事なんて無いよ」
優子は言ったきり目を伏せた。
いつの間にか変わってしまった恋人の横顔を、なすすべも無く眺めている胸底は引き裂かれんばかりだ。
「また、メールするから」
悲しい返事さえもなく、逆にほっとした。
振り向きもせず、都会の雑踏の中に消えていく優子の後姿が見えなくなるまで見送った。