平成23年1月1日
新年明けましておめでとうございます
一瞬たりとも止まることのない時の流れに、人は新年という区切りをつける生活の知恵を生み出しました。
昨年は充実した年であったろうか
年初の思いは実現できただろうか
又、新しい年がスタートします
昇る太陽の光が眩しく目に飛び込んでくる
周りの風景も心なしか新鮮に映る
清々しい年初にあたり、今年しか出来ない目標をたて、
新しい年が単なる昨年の延長でなく、
特別な年にしたいと思います
私のかけがえのない貴方様にとって、新しい年が希望に満ちた心躍る素晴らしい年になることを祈っております。
平成22年11月15日
夏から一気に冬の気配のこの頃です。
木々が、あわただしく紅葉の衣を着け始めているようです。
秋が日に日に深まるこの季節、不思議と心も感傷的になるものです。
真っ赤に色付いた葉っぱが、ひとひらひとひら貴方の肩にそっと降ってきた。
まるで、木々が暑い夏を越し、またひとつ歳を重ねたよう。
同じように、年月を重ねた自分がいろんな情景を見るたびに、何故かしら心がほころんでいく。
山奥の誰にも気づかれないもみじの紅葉を、私は見てあげたい。
平成22年10月20日
外光に反応する肉体の一器官としての瞳は『目』であるが、
これまでの人生の喜怒哀楽からくる内面の精神が宿れば、『目』は『まなざし』になる。
昨日経験したあの事も、今起こっているこの現象も『事実』であるが、
自分の感情を通して心で見れば『事実』は『真実』になる。
あなたの大事な人を温かい『まなざし』で見守り、心から『真実』を理解しようとすれば、その人はいつまでもあなたの大事な人であり続けられる。
そして、あなたもその人のかけがえの無い大事な人なのだから・・・。
平成22年9月17日
人と人がある約束のもとで出会うことを「行き会う」とも「ゆき合う」とも言う。
人はこれまで多くの人とゆきあい、そしてその度に多くの事を学び、そして喜び、そして時には大きな「葛藤」もあったろう。
茹だるような夏も過ぎ、朝夕はすっかり凌ぎやすくなった。
確実に秋が近づいている。
あの騒がしい、しかも夜中までも聞こえていた蝉の声も今では全く無く、秋の虫が待ちわびていたかのように、あわただしく鳴いている。
どこかの新聞で目についたが、今まさに夏の神様と秋の神様の「ゆきあい」の時期だと言う。
そして、夏の雲と秋の雲とが一緒に広がる晩夏の空を「ゆきあいの空」ときれいな名前で呼ぶのだそうだ。
「ゆきあいの空」に、地平線に沈もうとする真っ赤に焼けた夕日が、手をつなぐ二人の影を、どこまでもどこまでも長く描いていた。
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平成22年8月21日
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朝に一日分のご飯を炊く。
昼・夜は、その朝の残りを食べる事になるが、だんだんと
ご飯に臭いが出てくる。
田舎の夏は暑かった。
母は、朝の残りのご飯を竹製の籠に入れて、ハエが来ないようにフキンを掛け、
ちょっとでも風通しのいい軒下に吊るした。
それでも、夕方になるとさすがにそのままでは食べれない。
母は、ご飯を水で洗い、さらさらになったご飯にタクアンの漬物をのせ、のどに流し込んだ。
愚痴ひとつ言わなかった。
農家の母は、一番早起きで、一番最後に風呂を綺麗に洗って寝た。
それでも、子供の私たちには優しかった。小さいときの相談は、厳しい父より母にした。
夕ご飯も、あらためて炊いた温かいご飯をよそって食べさせてくれた。
今では、母の愛がどれほど大きなものだったか痛いほどわかる。
そのときは、何の感謝の気持ちもわかず、一人で育ってきたつもりでいたし、
気にいらないと、すぐに母にへらず口をたたいた。
その母は、もういない。
認知症の状態で10年近い病院生活のあと、何の記憶も無く逝ってしまった。
お母さん。お母さんのお陰で、私は今幸せに暮らせています。
お母さん。・・・ありがあとう・・・